2010年1月31日

とろける鉄工所

先日、本屋で本を探していて、
漫画コーナーでふと目が留まり、
買ってしまいました。
「とろける鉄工所」


まったく内容が想像つかなかったのですが、
3巻まとめて衝動買い。
子供を迎えて夕飯までの一時、
袋を開けてさっそく読んでみたら、
一気に「とろ鉄」ワールドのとりこになってしまいました。
大笑いしてると、小学3年生が「面白い?」
と聞いてくるので、ほらっ!と手渡し見せると
「????・・・わからん!」と
まあ、わからんだろう。
溶接をやったことがある人は、わかってもらえるはず。
鍛金業界でもうけているのではないだろうか。

ガウジング vs プラズマカッターなんて最高!
思いつきもしなかった。
怖くて、あぶないけど、楽しそう!って思った。

新しい制作は、銀を使って制作。
伝統工芸的な仕事です。
ずっと手をつけられなかったので、大急ぎです。
数もあるので大変です。きっと。

2010年1月30日

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって05

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって05

先輩でもあり、鍛金のスジミチやRAVEPORTEで一緒に活動していた関井一夫さんの学術論文を本人の許可のもとに連続掲載します。

出典:多摩美術大学研究紀要第20号 2005年掲載



1-4.鍛・金 新語の誕生
鍛金に限らず、鋳金・彫金共に「鍛」「鋳」「彫」という、それぞれを代表する技法に「金」を付けて作られた名称と言える。代表する技法・技術とは、「鋳物」であり、「彫り物」であり、「鍛冶物」である。これらの技法名は「工芸」と同様に、明治に作られた造語である。今日我々が常用する日本語の中には、明治期に西洋の概念を翻訳する為に生まれた新語が非常に多い。「思想」「概念」「哲 学」「政治」「会社」「銀行」「工業」等、その実、挙げ出すときりがないほどであり、二文字熟語には特に多いのである。 「工芸」という言葉も「美術」と同じく、明治期において西洋の「ART」および「CRAFT」という概念を翻訳する為の造語であった。この新造語の誕生には、重要な問題が隠れている。 それは、言葉が無かったという事は、その言葉が示す概念が存在しなかったので、表す必要すらなかったという事である。

日本国は、明治の開国により欧化政策を進める。「ART」 「CRAFT」という区分は、それまであった日本国内の“ART・CRAFTのようなもの”(4)を”美術・工芸”と命名して、西洋的に分類したのである。

そして「工芸」という造語の誕生により、「工芸という概念」 が生まれた。それに伴い、工芸に含まれる金属加工分野を、金属工芸として整理し、造形する技法に基づき、鍛金・鋳金・彫 金という名称を付け、分類したのである。

分類にあたり、歴史上の制度や、それまでの世間にあったモノから、名前を借りる事になったのだが、借用先を加工技術名、 つまり職能名に求めたのである。この時"鍛金は鍛冶から”名前を借りたのである。

註:(4) “ART・CRAFTのようなもの”という事では、ウィリアム・モリス(William Morris)の、Arts&Crafts運動があるが、ここでは、その問題には触れない。

2010年1月29日

のど痛いし

またまた体調不良である。のどが痛い。
今日は作業せず、買い物につきあう。
徐々に体の不調がひどくなる。
やることはやって早く就寝するつもり。

2010年1月28日

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって04

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって04

先輩でもあり、鍛金のスジミチやRAVEPORTEで一緒に活動していた関井一夫さんの学術論文を本人の許可のもとに連続掲載します。

出典:多摩美術大学研究紀要第20号 2005年掲載

1-3. 職人中心

日本は、銅と鉄が同時に大陸から渡来してきた国である。そして律令制度という奴隷制を基にした、工人の間で技術が伝えられてきた。更に中世以降は、自ら道具と設備を持ち賃金を得る職人が、徒弟制度という教育方法の中で、金属加工技術を伝えてきた。




図1 中世の刀鍛冶(「七十一番職人歌合絵」、出典:遠藤元男「金属表 面処理職人史」p.194)



図2 中世の刀研ぎ(「七十一番職人歌合絵」、出典:遠藤元男「金属表 面処理職人史」p.195)

遠藤元男(文学博士・日本職人史研究)氏の「金属表面処理・職人史」によると、古代での金属加工技術は、律令制の中で、部民という工人が従事しており、7世紀には、銅・鉄の雑器類をつくる「鍛冶司(かじのつかさ)」、金・銀・銅・鉄の造鋳と塗飾と瑠璃と玉作をつくる「典鋳司(いもじのつかさ)」、 兵器をつくる「造兵司(つわものつくりのつかさ)」、寺の施設・調度を造る「造寺司」という管工房で行われていた。

中世での金属加工技術職人には、「鍛冶(かじ)・刀磨(かたなとぎ)・鋳物師(いものし・いもじ)・鍋売(なべうり)・針磨(はりとぎ)・銅細工(あかがねざいく)・鏡磨(かがみとぎ)・鎧細工(よろいざいく)・銀細工(しろがねざいく)・薄打(はくうち)」があった(図1,2)。

近世では、「金彫師(かなほりし)・針摺(はりすり)・縫針師(ぬいばりし)・鋳師(かざりし)・象眼師(ぞうがんし)・ 銀師(しろがねし)・幾世留張(きせるはり)・鈴張(すずはり)・鋳物師(いものし)・鏡師(かがみし)・薄師(はくし)・ 金粉師(きんぷんし)・銖泥師(ちゅうでいし)・薬錐師(やかんし)・小刀磨にがたなとぎ)・鍛冶(かじ)・刀鍛冶(かたなかじ)・鑓鍛冶(やりかじ)・庖丁鍛冶(ほうちょうかじ)・ 鋏鍛冶(はさみかじ)・小刀鍛冶にがたなかじ)・剃刀鍛冶 (かみそりかじ)・仏具師(ぷっぐし)・錫師(すずし)・針鉄師 (はりがねし)・下地師(したじし)・鋳掛師(いかけい・鉄砲鍛冶(てっぽうかじ)・釘鍛冶(くぎかじ)・刀研(かたなとぎ)・魚子師(ななこし)・七宝師(しっぽうし)」があったというのである(図3)。



図3 近世の銀師・近世の鈴張(「人倫訓蒙図」、出典:遠藤元男「金属 表面処理職人史」p.235)

これらの史実から、時代が下るにつれ、職業名が増加している事がわかる。職業名の増加は、社会が変わるにつれ、需要と供給の関係が拡大したといえる。

また、この職業名からも「鍛冶」が非常に多い事がわかる。野鍛冶も含め、鍛冶は様々な階層に馴染みが深く、その意味では暮らしに密着していたのであろう。一方、薬錐師・鈴張・錫師等は、打ち物であるが、その技術は「〜鍛冶」のようなまとまりが見られず、薬罐・鈴という道具名称、または錫という金属名称である。刀は、形をつくる鍛冶仕事と、使用できるように研ぐ仕事が早くから分業し、専門化していた。故に形を造る仕事の頭に、道具名を付け「刀・鍛冶」となったと考えられる。

近代になると、明治34-38年(1901-5)にまとめられた「東京工匠名鑑」の中で、工匠69部門中23の金属加工職人部門が 紹介されている。この中に「鎚起鎚金並鍛金」(94人;打物細工師・鎚起師・鎚金師)と出てくる。「鍛冶」(14人;鍛冶工・ 鍛冶職・刃物師)、「武具」(4人;刀鍛冶・刀剣師)等もある。 ここで注目したい事項は、江戸時代の薬罐師や鈴張という仕事名ではなく、鎚起師・鎚金師という技法名が職業名として現れている。これは明治以降の分類体系化の現れでもある。

しかし、新たな産業構造の中で、生産体系の変化と、新たな産業技術および産物の登場により、既存の職人は職をなくし、 新たな職業に転化する事になる。多くの者は、工場生産に従事する労働者となり、一部の名のある職人が、外貨獲得の為の輸出品となった工芸品の製造、または美術学校という教育制度の中で職を得るのである。

そして、徒弟制度で育てられた「職人」とは別に、学校教育制度で育てられた「工芸家」という新たな職能者を生み出す。 現在は、職人と工芸家という2種類の職能者が存在する時代なのである。


続く

2010年1月27日

設置作業中です。

現場設置作業してます。
といっても、設備工事の方々に、一緒にやってもらっているので、
立ち会いをしていただけなんだけど。

現場にいっておどろいたことがひとつあって、
作業員に同級生がいたこと。
20年ぶりくらいの再開。
そういえば会社名は、彼の名字と一緒だった。

それから、いろいろトラブルというかアクシデントが続出。
これの内容は書けないというか、うまく表現できないが、
幾ら調整しても調整できていないこともあるという教訓かも。
直接私に影響はでてこないはずだけど、
調整役をやっている方々の苦労は計り知れない。
結果オーライかもしれないが。


これで、年明けから作業していた仕事がようやく納まる・・・はず。
作業時間があまりとれなかったので、思っていたより時間がかかってしまった。
作業環境も整えないといけないし、課題がいろいろ見えてきた。

配線工事も一緒にやっているのでおもったよりも時間がかかる。
申し訳ないが、最後まで立ち会えなかった。
いずれ完成画像を掲載したいと思う。

銅板をもらう

作業中、携帯が鳴った。
知り合いからの電話で、銅板があるけどいるか?と。
工事現場で、アース用に埋設していた銅板をユンボで
引っかけてしまって、もう使えないから、
引き取らないかとのこと。
なんか使えるはずだからと連絡してくれたらしい。
で、じゃまだから取りに来いということなので、
さっそく貰いにいってきた。
納期間際であんまり時間がないので、車を飛ばしていった。

行ってびっくり。小さいものだと思っていたらなんと90センチ角
ユンボで引っかけただけあってさすがにぐにゃぐにゃに曲がっている。
厚みは、1.5ミリ。アース線用に銅線がハンダ付けされている。
その部分は削らないといけないし、一度なましてからしか、
平らにできないだろうけど、90センチ角は大きい。
金属価格が高騰して久しいが、買うと幾らくらいするのだろうか。
買えないよな。
とってもありがたい。
お礼になにか作らなくてはいけないなあ。


やじるしみたいなものが、ハンダ付けされた銅線。小さくみえるけど、広げると90センチ角。
もう一枚あったらしいが、それは行方不明になったらしい。
ちょっと残念である。

2010年1月24日

作業中


日曜日、朝からノンストップで作業。
溶接したところは一度削ってあって地金がむき出しになっている。
その状態では、とても錆びやすいので、
一度バーナーで炙って黒い酸化被膜を表面に作る。
黒い酸化膜は赤錆へ移行しにくいから。
 赤い錆も鉄が酸化してできるものだけど、
鉄にとっては、いい状態とはいえない。
で、夕方から、プライマーを吹きつけ、さび止め塗料を塗る。
乾き待ちで、作業終了。

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって03

  金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって03

先輩でもあり、鍛金のスジミチやRAVEPORTEで一緒に活動していた関井一夫さんの学術論文を本人の許可のもとに連続掲載します。



1-2.鍛金と鍛造
美術館等での収蔵・展示作品表記を注意して見ると、鍛金の製造についての技法表記として「鍛造」と表されている事がある。「鍛造」というのは、一般的には鉄の塊を赤くなるまで加熱して、鎚で叩いて成形する、ロートアイアン(lout iron)と呼ばれる、いわゆる鍛冶屋の仕事である。表記されている物が、 実際に鍛造品であれぱよいのだが、平田宗幸の作品(「茄子水滴」等)や、石田英一の作品(「天平時代賤女像」等)といった、鉄の仕事ではない鍛金の名手の作品等(2)、明らかに鍛造品ではないものに「鍛造」と表記されている場合がある。これは「鍛・金」分野の製造技法であるから「鍛・造」としたのであろうが、 机上の分類ではなく、実際の技術を丁寧に分析してみると、そこに矛盾点が浮かび上がる。鍛冶屋の仕事を鍛造技法と呼び、 鍛金とする事はできるが、鍛金の技法を鍛造とは言い切れない。 何故なら「鍛金」とされる分野には、鍛冶屋の仕事以外の技法・技術があるからである。
ここで金属工芸分野の3技法、「鋳金」「鍛金」「彫金」の説明をする。

1 鋳金;型を用いて、熔融した金属を流し込み凝固させ造形する技法
2 鍛金;鎚と床を用いて、金属を打ち延ばし、または打ち縮め造形する技法
3 彫金;塹を用いて、金属を彫る、もしくは打ち出し造形する技法

そして今日の鍛金は、「その技術を使って、用途のある工芸品から、大きな造形物まで幅広い造形をするもの」という事が通説で ある。 鎚と床を用いて金属を打ち延ばし、または打ち縮め造形する技法で作られたものを、「鍛造」もしくは「包括的に鍛金」と した場合に、英語圏でのこの種の技法であるforgingとraisingは、どのように和訳するのだろうか。forgingは「鍛造」と和訳され、raisingは「絞り」と和訳されるだろうか。
一般的に「鍛金」はhammeringとされている(3)。 実のところ、英語圏でもraisingは、hand raising・hammer raising・ham meringue・beating等様々な表現がある。表現は多用なのだが、実はみなひとつの技法を示している。ところが日本では raisingに相当する、金属板を叩いて加工する鍛金の技法・技術は、「絞り」「鎚起」「打出」「突き出し」「押し出し」「ならし」「変形絞り」等と、細く分化され名称が付されている。しかしながら「鍛造」のように、これらをまとめる技法名がない。そこで教育の現場では、「鍛造」と対する技法を「絞り」と呼ぶのである。ところがこの技法は、板材加工技法習得上の基礎技法ではあるが、板材の加工技術を総称する事はできないのである。つまり、「鍛・金」で造られたから「鍛・造」という文字面合わせでは、鍛金技法の本質を表記できないのであるが、さりとて「鍛造」と対となる合理的な名称がないのである。近頃「鍛造」という技法表記も消え、単に「鍛金」とだけ表記されつつあるのはその為であろうか。
共通認識を求める事は、学問の世界に限らず、我々を取り巻く社会においても同様である。共通の認識を持つ為に、言葉 (概念)が生まれ、事柄によっては、統一した比較基準を持つ数値として表される。同じ文化圏の中での共通認識もさる事ながら、異言語文化圏との交流は、互いの類似性と異質性を理解して明らかになる。我々はある意味、美術作品を通してそれらと向き合うのであるが、表現を支える技術にも、同様な役割があるように思えてならないのである。


(2)「茄子水滴」「天平時代賤女像」 東京芸大美術館蔵 他にジャン・デュナン(Jean・Dunand)「球形花瓶」hammering・鍛造、国立近代美術館蔵等もある。
(3)英語圏での技術名称の詳細は、日本とは分類方法が異なる為、ここでは述べない。

終わらない


終わらない・・・
目は、ごろごろするし、
明日大雨にならないかな。


さて、今日は選挙です。
気合いを入れていきます。

2010年1月23日

洗濯三昧

天気悪いです。ちょっと気温低め。沖縄気温だけど。

















天気が悪いときに限って、3歳児はおねしょをする。
眠るとき、おむつどうする?って聞いたら、自信満々で「おしっこ出ない!」。
そうか、とそのまま絵本を5冊ほど読んで寝かせた。
今朝、まだ寝ている三歳児のお尻をさわってみると、あらら!びっちょり。
いそいで着替えさせ、シーツやら服を洗たく機に突っ込んだ。
で、一回戦。
毛布2枚を2回戦、3回戦で洗ってます。
曇天で今にも雨が降りそうな気配なので、ふとんは干せない。
とりあえず、ぬれているところをハロゲンヒータで乾かすというか暖める。
火事には注意。
作業は進行中。組み立て溶接中。半自動溶接機が欲しいところ。

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって02

  金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって02

先輩でもあり、鍛金のスジミチやRAVEPORTEで一緒に活動していた関井一夫さんの学術論文を本人の許可のもとに連続掲載します。



1. 2つの理路 「鍛金」の技法と名称

1-1.鞴祭と鍛冶屋の唄
金属加工を生業とする業界では、恒例として年に1回、鞴(ふいご)祭りという催し物が開かれる。これは稲荷大明神を守神 とする、火を用いる業種の儀式だが、大学でも職人業界の名残であろうか、毎年11月初旬に、輔祭が行われている。かつて 東京藝術大学では、その宴の中で「鍛冶屋の唄」が歌われてい た。

村の鍛冶屋
しばしも休まず 槌うつ響.
飛散る火花よ はしる湯玉.
鞴の風さへ 息をもつがず.
仕事に精出す 村の鍛冶屋.

「鍛金」と「鍛冶屋」という結びつきは、文字面としては自然なものであるが、東京藝術大学での鍛金では、銅を主な素材として、板金(いたがね)を「絞る技術」(1)を中心に教授されていた。
「鍛冶屋の唄(村の鍛冶屋)」は、鋤・鍬といった農機具を打ち鍛える、野鍛冶という、生活に密着した職納を歌ったものである。野鍛冶は、刀鍛冶とは異なり、武器を作る事が正業ではないが、鋤・鍬は刃物であり、刀鍛冶のように刃物武器を作る 事も可能であった。「鍛冶屋の唄」や「刀鍛冶の仕事」から受ける、金属を打ち鍛えるイメージからすると、「絞り」の仕事は、鍛冶屋仕事とはほど遠く、鍛金での「鍛冶屋の唄」には、どこか借り物のような違和感を覚えながらも「銅も叩けば硬化するのだから鍛えるのか?」程度に感じたものである。しかし「銅と鉄の金属組成の違い」という観点からは、どうにも納得できないものがあった。

註  (1) 金属工芸において、二次元の板材を、三次元の袋状の立体物に成形加工する技術

続く

出典:多摩美術大学研究紀要第20号 2005年掲載

2010年1月22日

春は来るか


暖かくなってきました。
春先の生ぬるい風も時折ふきます。
ヤブツバキも今が盛り。
もう少しすると、ヒカンザクラの季節になります。

さて、サクラサクカ。

休憩は気分転換にビーチを散歩しました。

昨日は、雑用のため、あまり作業は進まず、まあ〜だめだめな1日。





昼から非常勤講師の日。
夕方からは、通常業務。

2010年1月21日

展覧会のお知らせ

木越あいさんが出品する展覧会が開催されます。






朝のテーブル展

2010年1月27日〜2月1日

ギャラリーおかりや

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって01

 金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって01

先輩でもあり、鍛金のスジミチやRAVEPORTEで一緒に活動していた関井一夫さんの学術論文を本人の許可のもとに連続掲載します。
まずは、イントロから。

[研究論文]
金工の埋蔵物
一一「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって
関井一夫

The buried something in Japanese metal craft

Kazuo Sekii


Yudokobuki is a technique for casting metal that makes use of a traditional Yudoko. This technique was passed on orally among craftsman for a long time and it was the main copper production technique in Japan until the end of the Edo period. When the idea of kougei(craft) was created during the Meiji Period,this technique for copper production was conserved only by art universities. Yudokobuki became part of the program at the Craft Department of the Tokyo School of Art and then was passed on to the Craft Department of the Tokyo National University of Fine Arts and Music. Despite its long history, the technique has never been analyzed as a scientific process, and is today regarded as an ancient and mysterious technique.
 When one looks at the craft system from the point of view of an art discipline, one finds it is as rational as that of the current production system based on scientific principles brought from the West. Also, an examination of the copper ingots produced by the Yudokobuki technique raises the problem of the use of the term 'tankin' (beating metal) to describe a copper production method. The discrepancy between the rationality of crafts hidden in the way of teaching the techniques and the names given to them may reflect attempts using the Western system of classification since the Meiji period. In the contemporary category of crafts we can use observations of modeling as a catalyst to give a new interpretation of metal molding from the perspective of a history of technology and its meanings.



はじめに

いつの時代にも、新たな技術の発明や発見はある。それは、スポーツの記録更新を追い求めるように、新たな世界を眼前に表したい欲求のようでもある。 そして人は、未だ見ぬ新たな世界を貪欲に求める。工芸という、技法・技術に力点を置く分野からは、造形思想という面以外に、技法・技術といった面からも、新たな世界観を具現化する起爆剤が起こりうるのである。 それは、我国において西洋型分類主義の導入によって工芸という分野が誕生したように、新たな視点からの展開によって、生み出される可能性を内包しているのである。 金属工芸の中の、「鍛金」における技法名の矛盾点、更に技術・素材と造形の関係、また古の技術である「湯床吹き」の考察を通して、論考を進める。

続く

出典:多摩美術大学研究紀要第20号 2005年掲載

2010年1月20日

おだやか

昨日は非常に暖かい一日。3時休憩のときに近くの海へ。
まだまだ泳ぐには寒すぎるが、波も穏やかで気持ちよさそう。
沖にはウインドサーフィンを楽しむ人も見える。

通常業務は休みなので、夕方まで心置きなく作業。のこり3体のパーツ作り。

いまのところ作業は順調に進行している。ただ、子供の体調がここ数日の寒暖の差で不安定になってきているのが不安材料。寝込まれると作業を休むことになる。

2010年1月19日

お知らせ





第20回名護市文化祭があります。

2月20日(土) 舞台・展示 10:00よりオープニングセレモニー
2月21日(日)舞台・展示

主催:名護市文化協会


旧作ですが出品します。
もしかしたら新作をつくるかもしれませんが、まだ時間のやりくりがつきません。

2010年1月18日

沖縄そばを食べる



制作中です。
日曜日は、雑用も多くなかなか集中できませんが、ちょっと進みました。

今のところ、スケジュール的には遅れていません。



お昼は、ちょっと早めにお休み処「まる」へ。
近所にある沖縄そば屋さん。
セメント瓦屋根の民家を改装したなかなか風情があります。
三枚肉そばと、まるそばを相方とおいしくいただきました。




詳しくはこちらからどうぞ→お休み処「まる」へいらっしゃい
去年はギャラリーみんたまあの面々と食べに来ました。
その時のレポートです。

2010年1月17日

量産中

昨日は20度近く最高気温が上昇して、過ごしやすい一日。
一昨日は7度台まで気温が下がったとは思えない。

午前中は大急ぎで、あるWebSiteの更新。
泣いても笑ってもあと1週間、さてどうなるか。

作業は、いよいよ量産段階へ突入。
最低限の工具しかない作業環境なので、できることを工夫していかなくてはいけない。
まずは、材料の切り出しと、曲げ作業。



夕方からは通常業務、有給消化のため、1時間おそく出勤。
まともに休めないので、こまめに使っていかないといけない。
フリーランス生活が長かったので、有給休暇というものにまだなじめない。
休んでもギャラ有りってどういうこと?って感じです。
暇な・・・、もとい、利用予定のないっていない一日。




あまりお酒は飲まないけど、時々ちょっとだけ晩酌をします。
昨日は、琉球泡盛「琉球」、新里酒造製です。
いつも同じ銘柄は呑まずに、いろいろ変えています。

新里酒造

2010年1月16日

部分日食を見る


昨日は、久しぶりに晴れて、昼間は暖かく過ごせました。
夕方には部分日食がありました。
沖縄方面で6割くらい欠けたそうで、欠けたまま水平線へ沈んでいきました。
残念ながら仕事中で沈むまで観察できなかったのですが、
楽しめました。


カメラを持っていたのですが、あいにく望遠レンズを持ってくるのを忘れたので、掲載している画像はトリミングしたものです。
ちゃんと撮るにはいろいろと準備が必要です。

2010年1月15日

愛用品


昨日も寒い一日。
ただ、風がなく午後から太陽もでてきたので、ちょっと暖かくなりました。
日没後は一変、冷え込み、勤務終了時の10時ごろには10度を下回りました。

試作品を発注者に見せにいき、OKをいただきました。
色はちょっと変更。あと、工事の人と設置の日を決めてもらった。
あと1週間くらい。
塗装まで含めると結構タイトな時間設定ですが、こればかりはわがまま言えません。
残りの品物の材料を鋼材屋へ買いにいき、いよいよ本格的に制作突入です。

非常勤講師もぶじ終了。あと3回を残すのみ。


画像のスチール製巻き尺(あるいはスケール、メジャーともいう)は、たしか大学入学時に教材として買わされたもの。
もう十数年使ってますが、へたれも出ず、錆もなく現役で愛用しています。
仕事場で使うものですから、それなりに使い方は荒いと思うのですが、壊れません。
我ながら、結構物持ちがいいなあと思う。教材で買わされたものもほとんど現役です。
美術予備校にいっているときに使っていたアクリル製の定規もあるし・・・
道具は大事にしましょう。

さて、最大の道具の一つである右手首にじんわり痛みが走ります。
久しぶりの作業で、無理な動かし方をしてしまったらしい。
この仕事が終わるまでは、だましだましですね。
体は大事にしましょう。

2010年1月14日

試作進行中

昨日はとても寒かった。
最高気温も12度くらい。
夜は10度台。

試作品の組み立てが9割終了。
取り付け用のプレートが必要なので
サイズを計って注文しなくてはいけないのと、
ぶれ止めの部品をあと2本つけるだけ。
ここまでくれば、作業するのみ。


今日は非常勤講師の日。
実習が中心の授業形態なので、
授業中は、生徒が主役。
授業の準備と導入に気をつかう。
さて今日はどうなる?

夕方からは通常業務。
事務所は寒くていやになります。

そういえば一昨日壊れたはずのCDプレーヤーが、
昨日は電源が入りました。
なんだったのでしょう?

2010年1月13日

壊れる

昨日は、一日中曇天、風も強くおまけに雨もぱらつく一日。
とても寒い一日でした。
思い切り、重ね着をして寒さをしのぎながら作業。
少し進展しましたが状況は遅れています。
どこで挽回するか、です。


作業場で使っていたSONY製ポータブルCDプレーヤーがついに壊れてしまいました。
15年くらい動いていたでしょうか。
iPodshuffleと併用していたので使用頻度は高くなかったのですが、
寿命でしょうね。これだけつかえれば本望です。

本日は夕方から通常業務。
それまでは、制作時間。
おっと、娘をピアノ教室へ送り届ける業務もありました。

2010年1月12日

Link

のんびりぼっこ広場”へリンクしました。
勝田友李さん家族のすてきな工房

"marble"へリンクしました。
chiekoさんのガラスのアクセサリー

"meltesuca"へリンクしました。
早紀さんのサイト。

以上glasshouseの卒業生のサイトです。

緑青付け

昨日は暖かい風のない一日。
最高気温も20度をこえていました。
一転、今日は朝から雨。風も強くとても寒い一日の予感。
体感温度は10度くらいではないでしょうか。
外での作業から逃避したくなります。

寒すぎたり、暑すぎると集中力を維持するのがとても困難になります。
とりあえず防寒着を買いにいかなくてはいけません。
ずっと寒ければ体も寒さに慣れるのでそれほど苦にならないですが、
寒暖の変化がめまぐるしいので、寒さに慣れません。
気合いをいれていきましょう。




とても簡単な方法で緑青付けができることを発見。
時間はかかるけど薬品を使わずにすむので環境負荷は少ない、というか自然にあるものを使うだけなので全くないかもしれない。
ただ緑青のつき方をコントロールすることが難しいように思う。
まだ、偶然にたよる度合いが大きいので、もう少し実験をしてみたいと思います。

2010年1月11日

試作開始

昨日はゆっくり作業。
比較的暖かい一日。
午後から曇り始め、夜には雨。

試作品の材料を曲げました。
これは今日明日で溶接して組み立てまでもって行く予定。
最終的には全部で4台制作。
来週末までに納品するつもり。

昨日は、ホームセンターでいくつか買い物をしました。
その一つ、ディスクグラインダーに取り付けるディスク3種類。
今まで買ったことのないものを買ってみました。
若干価格が高目なのですが、切削性能や使い心地はどうでしょうか。


そのなかで、手前のディスクは”♡ハッピーTOP♡”とネーミングされてます。
ピンクの地色にハートマーク、しかもハッピー!、
武骨な電動工具のパーツなのに妙に可愛げ。
メーカーの心意気が伝わります。

今日は夕方から通常業務。
それまでは制作の時間にあてます。
世間的には、成人の日の祝日なので、
事務所は静かでしょう。

2010年1月10日

Link

こども造形ワークショップうめぐみ”へリンクしました。
スタッフの遠山さんは、Glasshouseでの教え子。
頑張っています。

factory zoomer"へリンクしました。
ガラス作家辻和美さんの工房。
スタッフの峰崎さんは、Glasshouseでの教え子です。
スタッフブログで工房生活が垣間見られます。

KOUGEIの素姿 続き

昨日はキレイに晴れて、日中は20度近くまで気温上昇。
日なたにいると厚着をしているせいか、汗ばむくらい。
午後は、子どもの通う保育園のもちつき大会に参加しました。

夕方からは、通常業務。今日は比較的時間がとれました。
分かりやすくすると暇だったので、合間合間に読書に励みました。
難解な言い回しが多く、わかんねーよと本につっこみながら読了。
作家へのインタビューや評論は、
作家と向き合う真面目な奥野さんの姿が目に浮かぶ。

本を閉じて、定位置のテレビの横へ収める。
とりあえず目につくところに置いておこう。

2010年1月9日

KOUGEIの素姿

昨日もとても寒い一日でした。
だめだめの一日で作業は全くできませんでした。

KOUGEIの素姿ー現代工芸の考え方ー を読み始める。

工芸評論家の奥野憲一氏が亡くなって1年余り。
出会いは、学部3年のとき。気に入られたのか、よく呑みに連れていってもらったっけ。酔っぱらうと変なおじさんになってました。卒業の年の夏に池袋西武の工芸画廊でのグループ展に誘われ出品させてもらった。その後もいくつもの展覧会にさそわれたり、もう閉校してしまったガラスの学校の講師として呼んでもらったり、公私ともとてもお世話になった。彼の晩年の数年間は、さまざまな事情で疎遠になってしまい、もっと連絡しておけばなあと、いくらかの後悔の思いを持っている。


この本は、ずっとテレビの横に置いていて、すぐに手にとれる様にしていた。
しかし、なかなか読むに至らなかった。制作からいくぶん遠ざかっていたのも大きいと思うが、重い腰をあげて読もうと思い始めた。
少しずつだが、制作を開始したからだ。

彼の存在は、いまでも私のなかではとても大きい。
もう会って話をすることは叶わない。
だからこの遺稿集で、彼の思考の一端をどうにか理解したいと思う。

amazonで購入できます。工芸関係の方はぜひ一読を。
KOUGEIの素姿ー現代工芸の考え方ー

2010年1月8日

停滞気味

今日も寒い日。
平均15℃くらいか。
沖縄ではかなり寒く感じる気温です。
天気も悪いので体感温度は実際の気温よりも低くなる。
朝から思い切りやる気起こらず困りぎみ。

昨日は非常勤講師の日。2コマの授業。
前半はプロジェクターを使って前回のムービーの上映と、
おまけで鍛金のしぼり技法の工程ビデオの上映。
後半は、新課題に突入。
来週は制作の日。面白い作品ができますように。

夕方からは通常業務。
業務の一つが正規の手続きをふむことになり、
それようの台帳のあたらしいフォームを考えました。
正規の手続きは、手間と経費が発生するので、
いいのかなあと思いますが、しかたないようです。
まあ、台帳は、書き込みやすさと、見やすさ、
誰でも書き込めるよう使いやすさを
考慮しました。
まだサンプル状態だけど、同僚の意見を聞きながら
完成度をあげていくことになるでしょう。

2010年1月7日

厳しい時代

昨日は、時々小雨もふる寒い一日でした。
東京でとてもお世話になった先輩からメール。
緑青着色のちょっと発見をおしらせしたら、
いろいろ近況交換。
大変なようです。
がんばれ。私もがんばるよ。
鍛金は作品を作るのにものすごい時間がかかるのに、
手間ひまを価格に反映できないジレンマがあります。
市場がないに等しいから、売るのも大変。
大学でも、作品で食っていく方法なんて、
考え方すら教えてくれなかったなあ。
今は少しはちがうのではないだろうか。
変わっていないと、もうだめだろう。

時代的にも今は厳しいですよね。
美術も工芸の世界も食えるのはほんの一握り。
食えてる人がいい仕事してるかは別だし。

厳しいっていうばかりでは能がないので、
もうひとふんばりしてみたい。


まずは、スケッチから実寸で絵を起こしました。
取り付ける照明器具のセッティングをして昨日は時間切れ。
ふきっさらしの作業場は、沖縄とは思えないくらい寒い。

今日は午後から非常勤講師の仕事。今期はあと5回残すのみ。

2010年1月6日

制作初め

今日から制作の仕事初め。というか大掃除から始める。
子供を実家に預け、今年最初のギャラリー会議。
さすがに集まりも悪く、何も決めずに雑談。
楽しくもあり、なんだかなあと思う時間。

スケッチはスキャニングして、パソコンで着色して、
ギャラリーで色つきのスケッチをプリンター出力してヒコヘ。
このまま決定の様子。
設置まで時間がないので、走りながら考えることになる。
とはいえ、この段階できっちりしておかないと
ぐずぐずになりそうである。
きっちり仕事を積み重ねていこう。

2010年1月4日

仕事始め

自分や家族の予想外の体調不良で、
予定していた年末年始の仕事には、
全く手をつけられませんでした。
親戚を回るだけですが、
ようやく年始の挨拶回りをおえました。
夕方から日常業務も仕事始め。
しばらくは体調と相談しながらの作業になりそうです。

2010年1月3日

回復

正月も3日をすぎてようやく回復。
この何日間かを、何もできず過ごしたことがつらい。

2010年1月1日

インフルエンザ家族

いまだインフルまっただ中。
患者またひとり発生で、
二日続けて救急病院へ。
一号患者は高熱期をすぎて回復中。
お正月はおとなしく。