2010年1月30日

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって05

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって05

先輩でもあり、鍛金のスジミチやRAVEPORTEで一緒に活動していた関井一夫さんの学術論文を本人の許可のもとに連続掲載します。

出典:多摩美術大学研究紀要第20号 2005年掲載



1-4.鍛・金 新語の誕生
鍛金に限らず、鋳金・彫金共に「鍛」「鋳」「彫」という、それぞれを代表する技法に「金」を付けて作られた名称と言える。代表する技法・技術とは、「鋳物」であり、「彫り物」であり、「鍛冶物」である。これらの技法名は「工芸」と同様に、明治に作られた造語である。今日我々が常用する日本語の中には、明治期に西洋の概念を翻訳する為に生まれた新語が非常に多い。「思想」「概念」「哲 学」「政治」「会社」「銀行」「工業」等、その実、挙げ出すときりがないほどであり、二文字熟語には特に多いのである。 「工芸」という言葉も「美術」と同じく、明治期において西洋の「ART」および「CRAFT」という概念を翻訳する為の造語であった。この新造語の誕生には、重要な問題が隠れている。 それは、言葉が無かったという事は、その言葉が示す概念が存在しなかったので、表す必要すらなかったという事である。

日本国は、明治の開国により欧化政策を進める。「ART」 「CRAFT」という区分は、それまであった日本国内の“ART・CRAFTのようなもの”(4)を”美術・工芸”と命名して、西洋的に分類したのである。

そして「工芸」という造語の誕生により、「工芸という概念」 が生まれた。それに伴い、工芸に含まれる金属加工分野を、金属工芸として整理し、造形する技法に基づき、鍛金・鋳金・彫 金という名称を付け、分類したのである。

分類にあたり、歴史上の制度や、それまでの世間にあったモノから、名前を借りる事になったのだが、借用先を加工技術名、 つまり職能名に求めたのである。この時"鍛金は鍛冶から”名前を借りたのである。

註:(4) “ART・CRAFTのようなもの”という事では、ウィリアム・モリス(William Morris)の、Arts&Crafts運動があるが、ここでは、その問題には触れない。