2010年3月24日

新婚さんいらっしゃい!

突然、早紀ちゃんからメールが来て、
「明日から沖縄いきます」

ギャラリー業務をやっていると、来ました。
しかも男性連れ。

驚いたことに(失礼)、新婚旅行。
年度末で、忙殺されていたところへ、
嬉しい知らせと訪問でした。

時間がとれなかったので、
ギャラリー近くのヒンプンガジュマルへ
案内しました。

展覧会のお知らせ

 

渡辺国夫 磁 × 陶 岩淵真理
2010年3月23日(火)-28(日) 
10:00-19:00 (最終日は16:30まで)

桃林堂青山
〒107-0061港区北青山3-6-12 03-3400-8703
 http://torindo.co.jp

2010年3月22日

黄砂


昨日は黄砂が凄かったですね。
2km位しか視界がない。
撮影に行った勝山もこのとおり


夕日もちょっと幻想的。

2010年3月21日

撮影一日目終了

昨日、昼間は記録撮影。
夕方からは通常勤務
そのあと
帰ってから年度末のお手伝い仕事
とりあえず昨日の撮影のなかから何コマか・・・

まだパソコンに入れただけ。
今日も撮影があります。
早起きをして、お手伝い仕事をまず仕上げました。
 確認してから届けます。

勝山区主催のシークワーサー花香り祭りが
今日まで開催されています。

 安和岳をバックにセンダンの木が薄紫の花をつけています。

 
勝山区はヒージャー(ヤギ)でも有名なところです。

2010年3月20日

車、入院中

先日、10年ほど乗っている愛車を修理に出す。
代車がきたので受け取りに朝からのんびり取りにいった。

何ヶ所も不具合がでてしまい、ついに修理となった。
見積もりによると、お金もかなりかかるようだが、
これまで苦楽を共にしてきたといってもいいくらいなので
がんばって直すことにした。


半月くらい入院予定。
離島なので部品も船か飛行機で取り寄せなのだ。
当然飛行機便は速いが運賃が余計にかかり、
修理代金に上乗せされることになる。
急がないので、船便取り寄せにしてもらった。
中心市街地は、シャッター街となって、
閑散としている。
これは地方では全国的な現象だが
どうにかしようということで、
公設市場を壊して、市場を含めた再開発が行われている。
クラッシュ&ビルドは、もう時代遅れのような気がするけど。
建物がいくら新しくなっても
人の意識が進化していかないと、どうしようもない。
今日は朝から、
勝山区のシークワーサー花香り祭りの撮影の仕事
明日まで。
区長さんが同級生なので、頼まれた。
なので、カメラマンもやったりする。

2010年3月19日

なつかしい風景のポジ

彼岸の入りです。
昼間は、もうTシャツでOK!
ちょっとでも日差しがあると暑くなります。

とあるプロジェクトのためにポジをひっくり返して、
セレクト中なのですが、なつかしい風景がいくつか出てきました。


新木場の交通機動隊の横です。
画面奥の修理工場はもうやっていなくて別の業者がはいっているようです。



 地下鉄の操車場の上を渡る陸橋です。
GlassHouseの卒業生は懐かしい風景なのではないのでしょうか。


 かつて住んでいた埼玉の加須市。
関東平野のど真ん中にあるので、とても真っ平らなところで、
中心市街地から2〜3分で一面田んぼ。
3枚とも撮影は冬。
空がとても澄んでいますね。
冬は寒いので苦手でしたが、
澄んだ青空やきれいな夕日が見られるので好きでした。
沖縄の冬は曇天の日が圧倒的に多くて、絵になりにくい。

2010年3月18日

展覧会のお知らせ

金工の先輩方のグループ展です。
いつの間にか始まっていましたね。
ぜひご高覧ください


ARAGANE EXHIBITION

2010年3月16日(火)~3月21日(日)11時~19時
 オープニングパーティー:3月15日(月)17:00~
遠藤透 大塚武司 織田このみ 勝孝 川野辺洋
小菅とし子 小関郁子 午来馨 佐藤伊智郎 田中俊介
橋本明夫 原島秀行 馬場省吾

104-0061東京都中央区銀座7-7-1幸伸ビル2F・B-1
 WEB: http://www.ginza-kosin.com

2010年3月17日

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって15

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって15

先輩でもあり、鍛金のスジミチやRAVEPORTEで一緒に活動していた関井一夫さんの学術論文を本人の許可のもとに連続掲載しま す。

出典:多摩美術大学研究紀要第20号 2005年掲載


3-2.湯床吹きと小吹き

この技術は、東京美術学校では「湯床吹き」として伝承された。住友資料館副館長の今井典子氏から御教授を受けたところでは、江戸期までの銅材は、国内市場向けとしての円板状の「丸銅」・角板状の「丁銅」と、輸出向けとしての角棒状の「棹銅」として、「湯床吹き」と酷似した「小吹(こぶき)」という製造方法で生産されていた。また、福山敏男氏の日本建築史の研究の中で、「正倉院文書」の中に「湯床という記述」が見て取れるが、それ以上の事は不明との事であった。

後日、史料を拝見したところ、数ケ所に「湯床」の記がある。 一例として、「正倉院文書16・史料6」の天平6年(736)の下りに「二丈七尺熟銅下湯床料」とあった。これは、布の大きさと使用目的の記述であるが、「熟銅の下湯床の材料(布)を二丈七尺用意した」という事である。「熟銅」とは自然銅を集め、 何度も鋳直したものを指すようだが、「熟銅下湯床」とは、湯床吹きに用いる湯床を示しており、湯床吹き技術は、奈良時代には存在していたと言えるのではないか。

2003年11月大阪歴史博物館にて、棹銅の「棹吹き」再現があり、見学して来たところ、用具等の細部は異なりながらも、 基本的には「湯床吹き」同様、温水中に布を置き、そこに精練された熔融銅を流し込み、材料として製造するものであった。

この棹吹きの再現では、銅の表面にできる亜酸化銅を表出した赤色の再現に重きが置かれていた。この赤色は輸出品として珍重されていたようだ。

ほぼ同様な技術でありながらその名称が異なるのは、技術の伝承経路が異なる、もしくは技術の位置付けが異なるからでは、ないだろうか。「小吹」は小さく吹き分けるという、量産を目的にした工程のひとつ、つまり産業システム上の名称のように伺える。一方、「正倉院文書の中にある湯床」が「湯床吹きの 湯床」を指すのであれば、「湯床吹き」は、技術そのものの姿を名称として伝えたのである。

2010年3月16日

raveporteの仕事

Raveporte(レヴポルト)の仕事の紹介です。
レヴポルトは、関井一夫さんとの造形ユニットです。
最近の仕事はこれです。


2009年3月
チェロとピアノの門扉
世田谷区 I邸

ご主人の趣味はチェロ、奥様はピアノ教師。
娘さん二人は大の魚好き。
当初はチェロとピアノの門扉デザインでしたが、
娘さんが大の魚好きで門扉のラッチに
イルカの輪潜りデザインを施し、
更にフェンス上部に
マンボウ・ウミガメ・エンゼルフィッシュを追加しました。
お嫁に行く時に一尾づつ持って行くかもしれない、
ということで、ネジ止め仕様になっています。




門扉/側面フェンス/表札/ポスト
支柱/ステンレス銅板張り付け/表面硫化仕上げ
門扉・側面フェンス/真鍮・銅/硫化緑青仕上げ
表札/銅・エッチング/硫化緑青仕上げ
ポスト/ステンレス・銅/

2010年3月15日

勢いで申告終了

ようやく、本当にようやく確定申告が終った。
終ってしまえば、
なんでこんなに時間がかかったのかと
思うのだけど、
気の重い仕事は、時間がかかる。
あとは、税務署からのお呼び出しがなければよし。
たいして稼いでいないし。


いろいろと滞っているので、
しっかりとこなしていかないといけない。
しかし3月中は、
まだまだ金属仕事に取り掛かれそうにない。

2010年3月9日

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって14



金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって14

先輩でもあり、鍛金のスジミチやRAVEPORTEで一緒に活動していた関井一夫さんの学術論文を本人の許可のもとに連続掲載します。

出典:多摩美術大学研究紀要第20号 2005年掲載


3.湯床・技術の埋蔵物

3-1.湯床吹き

「湯床吹き」という耳慣れない技術がある。湯床と言っても 風呂のたぐいではないが、風呂と全く無縁ではない。このような切り出し方をすると、いたく怪しげな技術と思われるかもしれないが、この「湯床吹き」にも、ある問題が隠れているのである。「湯床吹き」をめぐり更に論考を進める。

 
図10 自然銅 (Michigan,U.S.A.産出)

銅塊は、自然銅(図10)という形で銅鉱石と共に発見された。しかし人為的に銅鉱石から銅を検出する為には、高い熱量の生産と同時に、銅鉱石中に含まれる銅以外の金属も取り除かなければならない。今日のような99.99%以上の高純度の銅が精練されるようになったのは近代になってからの事で、銅には銅以外の金属(銀等の不純物)が数パーセント混入していたのである。 銅材料ができるまでの工程は、銅鉱石を高温で加熱して銅を取り出し、不純物を除去し純度を高める。この精練後の銅は再度融解し、熔湯を型に流し込みインゴットを作り、高温で熱間加工し、後に室温で仕上げ寸法に冷間加工して一次製品となる。

「吹き」とは、鋳造を示す呼称であり、「湯床吹き」は、「湯床鋳造」と言える。「湯床吹き」は、銅材料製造における古のインゴット製造の工程であり、今日の銅精練の中では行われていない技術である。

2010年3月7日

ツツジの季節になりました。

お彼岸用の小菊の収穫の手伝いをやっています。結構ハードです。

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって13

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって13

先輩でもあり、鍛金のスジミチやRAVEPORTEで一緒に活動していた関井一夫さんの学術論文を本人の許可のもとに連続掲載します。

出典:多摩美術大学研究紀要第20号 2005年掲載




2-3.アルゴン溶接

鍛金の近年におけるアルゴン溶接技術の導入は、鍛金造形に大きな変革を起こした。鉄においては、アセチレンガスと酸素の混合気による、いわゆるアセチレン溶接が行われていたが、非鉄金属、特に銀や銅は、伝統的な鑞付けやリベット留めが、 主な接合技法であった。銅の場合は、特に接合部分に銀鑞の鑞目が出る為、基本的には、板材の一枚絞りで制作する事が主流であり、接合部分の造形的処理から生まれる造形上の制約は、作品の大型化を妨げていた。

伝統的な一枚絞りを主流として、絞り技術を保存伝承してきた東京藝術大学鍛金科において、三井安蘇夫氏 (12)が行ったアルゴン溶接の導入は、その後の鍛金造形を大きく変える転換点であった。三井氏は、鍛金(ここでは絞り)を後世まで残す為に, 彫刻作品に匹敵する大型の鍛金造形物を目指す事で、技術の保存伝承の可能性を見い出そうとしたわけである。この事によって、鍛金の伝統的な造形から、大きく変わったものが生まれる。 (13)

鉄板は、高温多湿な風土の野外では、特に錆びやすく劣化するが、耐用年数が遥かに勝る銅板の造形が、野外の作品として登場する。そして、一枚絞りでは不可能な造形構造作品が登場する。これらは溶接技術なくしては現れなかったものである。つまり、技術が造形を展開させた一例と言えるのである。

しかし溶接技術は、一方で絞らず立体を作る事ができる制作法も生み出す事になる。紙工作のように切り貼りする事で、金属の延展性を最大限に利用しない、板金加工のような造形も生み出す。そのような制作法は、現代のように労力と時間を最大限におさえて造形する事が、経済効果として好ましい状況ではある意味合理的と言える。何故絞らなくてはならないのかと、絞る事の意味が問われるのであろう。

こういった技術と製造物との関係は、過去においても系統樹のように、面々と繰り返されていた事が想像できる。ある目的の為に技術が生まれ、その技術を用いてまた別の目的が生まれる。進化した技術や素材もあれば、淘汰された技術や素材もあろう。しかし、淘汰された技術や素材が、劣性であったと断言できるだろうか。淘汰された理由は、技術や素材そのものにあるのではなく、それを取り巻く環境にもあった可能性も否定できないであろう。また劣性とされ淘汰されたものの中にも、造形を展開し得る重要なきっかけが、埋もれてはいないであろうか。

技術は形を成立させる為の原理であるなら、技術を技巧とは切り離した観点から、再認識する事ができる。溶接という二次的な技術は、金属熔解という現象からは鋳造との接点もある。また、型を用いない熔融と凝固による造形という道筋もある。 原理的な視点からは、今在る技術とその目的の範疇を拡大また は超越する事で、造形としての展開への理路が開けるのである。 これは素材についても同様であろう。変形絞りの誕生、伸銅品の普及による絞り技術の特化、鍛金における溶接技術の導入、これらはその実例であり、一例なのである。





(12)昭和8年(1933)東京美術学校金工科鍛金部卒業、東京藝術大学名誉教授。 平成12年(2000)没。

(13)香取秀眞が、明治38年(1905)「鎚起製銅佛像」の中で唱えて以来、半世紀を経て鍛金が踏み出した道である。




続く

2010年3月5日

農繁期

昨日は、暑かった。
作業場は29度

制作以外のことで忙しくなってきた。
この時期恒例のことです。
暫くの間は、農家です。

2010年3月3日

洗濯

今朝は、太陽がまぶしい。
昼間はTシャツで大丈夫だろう。

昨日は、
ダメダメな一日。休みの日だからか。
ダメさついでに、iPod shuffleを洗濯してしまう。
どこ置いたかなあと捜していたのだけど、
洗濯機のなかで発見・・・。

前にも一度やっている。
作業服のポケットに入れたまま洗濯。
干している時に発見して驚いた。
この時は、完全乾燥して、一年位使えた。
徐々に動作不能になっていって、使えなくなった。

小さいデバイスは、合わないのかもしれない。
もうちょっと大きいものにするか。

2010年3月2日

コスモス

週末は地震があったり、津波警報が出たりと、
盛りだくさんでした。

地震の被害もなく、津波も心配したほどではありませんでした。

日曜の午後は久しぶりに、作業をOFFにして、家族サービス。
でも夕方には、津波の心配もあって、作業場へもどり、
非常勤で行っている学校の生徒さんの作品の撮影をしていた。


昼すぎには、家族で近所の田んぼへ花見。
田んぼで花見?と思うかもしれないが、
なんと田んぼが一面コスモスの花畑になっていました。
週明けには田植えの準備でトラクターが入るそうなので、
見納めのタイミング。



10年目の娘も花に浮かれています。

3月恒例の・・・

半月程かかりっきりだった銀の仕事が
なんとか終った。
まだまだ研究と改善の余地があるが、
現時点ではここまでが到達点。


 
次は、確定申告だ。
保育園の更新もあるので早めにしないといけないが
こればかりは、いつも以上に気が重く・・・。
今まで使っていた会計ソフトが使えなくなったので、
新しく購入したのだけど、
このことがさらに憂鬱な感じを助長している。
今までの会計ソフトは、OS9で動いていたもので、
OS-Xのtigerでは、classicのモードで使用していたもの。
classic環境はsnow leopardでは、廃止になってしまった。

新しく購入する必要性が出てきた。
今度のは、Mac用ので使いやすそうなソフトが見当たらず、
豊富な種類のあるWindows用のをいろいろ検討して購入。
Boot CampでWindows-XPを立ち上げて使用する。
普段はMacだけど、ピンポイントでWindowsを使う。
これができるのでMacは便利。

2010年3月1日

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって12

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって12

先輩でもあり、鍛金のスジミチやRAVEPORTEで一緒に活動していた関井一夫さんの学術論文を本人の許可のもとに連続掲載します。

出典:多摩美術大学研究紀要第20号 2005年掲載


2-2.伸銅品

江戸期までの銅材料は、「丸銅」(図9)「丁銅」等という、円形や矩形の銅塊板材料として流通していた。我が国の銅材は, 明治に至り西欧の精銅技術の導入、そして明治3年(1870)大阪造幣局に蒸気機関を使った、ロール圧延による伸銅品の製造開始により、今日のような形のものに変わってきたのである。

丸銅は、その大きさにもよるが、おおよそ6mm程度の厚さの地金である。この銅は密度の粗い鋳造品であったので、そのまま中心部から打ち延べると、内部応力により外周囲に亀裂が 生じる。その為「山おろし」といって、外周部から徐々に地金を打ち、金属組織を練る工程から始める。いずれにせよ6mm 程度の厚さの地金から絞り出す事は、人力では不可能に近い。 そこで絞りに適した2mm以下の板厚まで平たく薄く打ち延ば してから絞る。または、材料自体の厚さを利用して、内側から鎚で板厚を薄くしながら立体状に打ち起こし、薄くなった上部を絞り込む技法もある。この打ち起す技法は、今日、底部に厚さを残して安定感のある器物を作ろうとしない限り、工業製銅板を用いる中では、体験する必然性の希薄な工程である。しかし厚板の丸銅においては、この打ち方が最も有効な造形技法となる。

既に圧延され、板厚も選べる伸銅材の登場は、丸銅から打ち延ばし成形する手間を考慮すると、打物師にとっては、画期的なものであったはずである。そして、この伸銅品としての薄板の普及が、鍛金における「絞り」技術の特化を促したのである。




続く