2010年3月7日

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって13

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって13

先輩でもあり、鍛金のスジミチやRAVEPORTEで一緒に活動していた関井一夫さんの学術論文を本人の許可のもとに連続掲載します。

出典:多摩美術大学研究紀要第20号 2005年掲載




2-3.アルゴン溶接

鍛金の近年におけるアルゴン溶接技術の導入は、鍛金造形に大きな変革を起こした。鉄においては、アセチレンガスと酸素の混合気による、いわゆるアセチレン溶接が行われていたが、非鉄金属、特に銀や銅は、伝統的な鑞付けやリベット留めが、 主な接合技法であった。銅の場合は、特に接合部分に銀鑞の鑞目が出る為、基本的には、板材の一枚絞りで制作する事が主流であり、接合部分の造形的処理から生まれる造形上の制約は、作品の大型化を妨げていた。

伝統的な一枚絞りを主流として、絞り技術を保存伝承してきた東京藝術大学鍛金科において、三井安蘇夫氏 (12)が行ったアルゴン溶接の導入は、その後の鍛金造形を大きく変える転換点であった。三井氏は、鍛金(ここでは絞り)を後世まで残す為に, 彫刻作品に匹敵する大型の鍛金造形物を目指す事で、技術の保存伝承の可能性を見い出そうとしたわけである。この事によって、鍛金の伝統的な造形から、大きく変わったものが生まれる。 (13)

鉄板は、高温多湿な風土の野外では、特に錆びやすく劣化するが、耐用年数が遥かに勝る銅板の造形が、野外の作品として登場する。そして、一枚絞りでは不可能な造形構造作品が登場する。これらは溶接技術なくしては現れなかったものである。つまり、技術が造形を展開させた一例と言えるのである。

しかし溶接技術は、一方で絞らず立体を作る事ができる制作法も生み出す事になる。紙工作のように切り貼りする事で、金属の延展性を最大限に利用しない、板金加工のような造形も生み出す。そのような制作法は、現代のように労力と時間を最大限におさえて造形する事が、経済効果として好ましい状況ではある意味合理的と言える。何故絞らなくてはならないのかと、絞る事の意味が問われるのであろう。

こういった技術と製造物との関係は、過去においても系統樹のように、面々と繰り返されていた事が想像できる。ある目的の為に技術が生まれ、その技術を用いてまた別の目的が生まれる。進化した技術や素材もあれば、淘汰された技術や素材もあろう。しかし、淘汰された技術や素材が、劣性であったと断言できるだろうか。淘汰された理由は、技術や素材そのものにあるのではなく、それを取り巻く環境にもあった可能性も否定できないであろう。また劣性とされ淘汰されたものの中にも、造形を展開し得る重要なきっかけが、埋もれてはいないであろうか。

技術は形を成立させる為の原理であるなら、技術を技巧とは切り離した観点から、再認識する事ができる。溶接という二次的な技術は、金属熔解という現象からは鋳造との接点もある。また、型を用いない熔融と凝固による造形という道筋もある。 原理的な視点からは、今在る技術とその目的の範疇を拡大また は超越する事で、造形としての展開への理路が開けるのである。 これは素材についても同様であろう。変形絞りの誕生、伸銅品の普及による絞り技術の特化、鍛金における溶接技術の導入、これらはその実例であり、一例なのである。





(12)昭和8年(1933)東京美術学校金工科鍛金部卒業、東京藝術大学名誉教授。 平成12年(2000)没。

(13)香取秀眞が、明治38年(1905)「鎚起製銅佛像」の中で唱えて以来、半世紀を経て鍛金が踏み出した道である。




続く