2010年3月1日

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって12

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって12

先輩でもあり、鍛金のスジミチやRAVEPORTEで一緒に活動していた関井一夫さんの学術論文を本人の許可のもとに連続掲載します。

出典:多摩美術大学研究紀要第20号 2005年掲載


2-2.伸銅品

江戸期までの銅材料は、「丸銅」(図9)「丁銅」等という、円形や矩形の銅塊板材料として流通していた。我が国の銅材は, 明治に至り西欧の精銅技術の導入、そして明治3年(1870)大阪造幣局に蒸気機関を使った、ロール圧延による伸銅品の製造開始により、今日のような形のものに変わってきたのである。

丸銅は、その大きさにもよるが、おおよそ6mm程度の厚さの地金である。この銅は密度の粗い鋳造品であったので、そのまま中心部から打ち延べると、内部応力により外周囲に亀裂が 生じる。その為「山おろし」といって、外周部から徐々に地金を打ち、金属組織を練る工程から始める。いずれにせよ6mm 程度の厚さの地金から絞り出す事は、人力では不可能に近い。 そこで絞りに適した2mm以下の板厚まで平たく薄く打ち延ば してから絞る。または、材料自体の厚さを利用して、内側から鎚で板厚を薄くしながら立体状に打ち起こし、薄くなった上部を絞り込む技法もある。この打ち起す技法は、今日、底部に厚さを残して安定感のある器物を作ろうとしない限り、工業製銅板を用いる中では、体験する必然性の希薄な工程である。しかし厚板の丸銅においては、この打ち方が最も有効な造形技法となる。

既に圧延され、板厚も選べる伸銅材の登場は、丸銅から打ち延ばし成形する手間を考慮すると、打物師にとっては、画期的なものであったはずである。そして、この伸銅品としての薄板の普及が、鍛金における「絞り」技術の特化を促したのである。




続く