2010年2月19日

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって10

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって10

先輩でもあり、鍛金のスジミチやRAVEPORTEで一緒に活動していた関井一夫さんの学術論文を本人の許可のもとに連続掲載します。

出典:多摩美術大学研究紀要第20号 2005年掲載

1-9.鍛造と鎚起

 物や技術は、需要により増減する。需要が無くなれば、ものは残るかも知れないが、技術は消失してしまうものなのである。 分類や体系作りは、普遍性を目指し、合理的に行われるものである。金属工芸の分類、特に「鍛金」は、西洋型分類として体系付けられているようであって、その実、西洋型分類風に作られているだけだったのである。

「鍛」という漢字の語源を引けば、確かに「鍛金」として包括的な技法名ともいえる。(8) 「冶」という漢字には「人工で調整する意」があり、“鍛冶は、金属を叩いて作る”意味とする事もできるのである。

部民制での「鍛冶部」、律令制での「鍛冶司」も「鍛」選びの由来と考察できる。律令制での「鍛冶司」は、鉄に限定せず、銅でも雑器をつくっていたようであり、そこでは金属を叩いてものを作る総称として「鍛冶」を用いたと考えられる。そして、刀剣類は、国家戦略として「造兵司」で、武器として製造され ていた。しかし、刀造りは「刀鍛冶」という職能となり、「鍛冶」の代表が「鉄を叩いて作る仕事」となり、「鍛冶=鉄を叩いて作る仕事」となったと推測できる。当初の「鍛冶」が純粋 に金属を叩く仕事の総称であったとしても、既に言葉の意味は変わってしまっていたのである。

「鍛金」と命名する際、「鍛」の採用については,歴史を紐解き、世間の職能も照らし合わせ、「鍛」を選び出したとしても、技法の普遍的な分類体系上での最も重要な点、つまり“金属を叩いて加工成形する技術には、2つの理路がある”事を落としてしまったのである。もし、2つの理路を理解した上での命名であるなら、そこには、日本刀に対する命名者の特別な思想を「鍛金」に封じ込めたと考えられるのである。

型に熔湯を流し込み、凝固させる技術である「鋳金」は、言い換えれば、原型を金属に置き換える技術なのである。故に原型に対する「鋳型(いがた)」の制作方法が、問題であり、そのような意味では、原型づくりは鋳物技術の範晴外ともいえる。これは西洋のブロンズ彫刻において、彫刻家と鋳造家が分離している事からも明らかである。鋳造技術を中心に据えた原型という観点からは、量産の為に鋳造しやすい原型作りという、工業的な方向が見えるのである。

一方「鍛金」は、金属を直接変形させる技術である。模型というものは存在するかも知れないが、原型というものは存在しない。そして、直接的に金属を変形加工するが為に、大きく2 つの理路が生まれていたのである。それが“鍛冶物と打ち物” であったのである。

東京美術学校鍛金科開設の後、打ち物に“鎚起(ついき)” という名称が付される事になる。「鎚起」命名についての詳細は、2-1.「絞りの市民権」で後述する事にする. (9)



図6鍛金技法分類

香取秀眞は、『金工史談』の中で、「鍛金」を「鎚起鍛金」と 記している。また『日本金工史』の中で、「打ちもの(打物)」として「現在の鍛金」に当たるものを示しており、文中で「鍛金」という呼称は用いていない。むしろ「鍛造」を「鍛冶」の 技法とし、それらを指すものを「鍛金」というニュアンスで扱 っている。ゆえに、「打物」と「鍛金」の2種類の技法を総称する名称として、「鎚起鍛金」と記しているのである。また他の項では、「鋳金」「彫金」とはしながらも「打物」としている。 更に、同じく「第一章・金工の各名称及び種類」の中で、「鋳物」「彫りもの」「打ちもの」としている。香取秀其は、「鍛金」 では括りきれない、もうひとつの技術が有り、それにこだわり 「鎚起鍛金」「打物」としていたのである。現在では「鎚起」は、絞りとは別の技法として、平盤な鉄床と金槌を使って、立体状に打ち上げてゆく技法とされている事が多い。

これらからの総括的な検証として、下記のような分類名称を提示する(図6)。「鍛金」という名称は、「鎚起鍛金」「鎚鍛金」 としたいところだが、言葉としての「鍛える」という意味ではなく、漢字としての「鍛」の源を尊重し、また今日社会的に認知されている事柄として「鍛金」であるとする。そして、塊材を用いる技法と、板材を用いる技法に大きく二分し、「鍛造」「鎚起」とする。金属材質からの分類は成さず、必要とあれば、 技法の頭に金属名を付するものとする。更に、現在鎚起と呼ばれている技法は「打ち起し」とし、凹型にあて成形するものを、 「押出仏」から引用し「押し出し」とする。また「凹型を用いない押し出し」を「突き出し」とする。「打ち出し」は、鎚起と同様な意味合いとする。また塊材と板材の定義は、この技法が工芸分野のものである点から、人力による加工可能範囲でのものとして区分する。

使われなくなった言葉を「死語」と呼ぶが、今生きている言葉も、現在使われている意味合いと、過去使われていた意味合いが、同じとは限らない。文字上は同じでも、意味上は異なる部分が存在するのである。まして、「或る言葉(概念)」が生まれた以前の事象も含めて、「新語」で表すならば、必ずしも包括できない事柄もあろう。

言葉は生きものであるから、時代と共に変化する。ある意味表現内容が拡大する事もある。しかし、その臨界点を越えた時に、技法名称の賞味期限が切れるのであろう。我々は、とうに賞味期限の過ぎた技法名称の中にいるのかも知れない。だが、革新的に創造する者や、造られた物は、何も枠の中に収まる事を求めているのではない。時はすでに、鋳・彫・鍛の技法分類を横断する造形が生まれ、また鍛金技法で作られた物が、工芸ではなく彫刻ジャンルに入っている時代なのである。


図7山田宋美[鉄打出瓦上に鳩置物](出展:展覧会カタログ「鉄打出 山田宋美の世界展」p.17)

註:(8)「鍛;[解字]会意形声。段は、上から下へとおりる階段。鍛「金+(音符)段」で、上から下へと金属をたたくこと。[意味]1 きたえる(きたふ)。金属を トントンと上から下へたたいて質をよくする」

註:(9)明治30年、東京美術学鋳金科卒業。同学鋳金・金工史教授(明治36-昭和18 年)

註:(10)「第二節一打ちもの:或種の金属を鎚鍛し展延、伸縮せしめて制作する方法で、其作品には佛像、銅錫、花瓶、香爐、鉢、盆、皿、花盛器、巻煙草入れ、香凾、薬罐、銀瓶、銅壷、人物動物等の置物がある。別に鍛冶としては、刀剣、 鉈、庖刀、小刀、菜刀、鉞、斧、鍬、鎌、鋤、鉋等鋼鉄を以て刃物をつくる。本書に於ては此等刀剣類の鍛造に就ては多く述べないこととする」(香取秀真「日本金工史」p.2)


続く