2010年5月1日

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって19

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって19

先輩でもあり、鍛金のスジミチやRAVEPORTEで一緒に活動していた関井一夫さんの学術論文を本人の許可のもとに連続掲載します。

出 典:多摩美術大学研究紀要第20号 2005年掲載

3-6. 何故? 湯の中に流し込んだのか

高温の金属を水中に投入する技術として、先に述べた「鉄の焼き入れ」技術がある。金属工芸分野での焼き入れには、冷却媒として、水・油を用いる事が一般的である。

鋼のオーテスナイト領域から急冷して、マルテンサイトを形成する熱処理である焼き入れは、マルテンサイト化が、鋼の内外で一様に行われる事が理想的である。マルテンサイト化が鋼の内外で一様に行われるという事は、材料の表面と中心部の温度差ができるだけ小さい状態に保たれながら、マルテンサイト化が進行するという事である。

金属工学上からこの現象は、以下のような解説がされている。 「オーテスナイト領域に達した鋼を一般的な水に投入すると、鋼材と冷却媒の界面に蒸気膜が発生し、この蒸気膜を介しての冷却速度は非常に小さく、600°C付近では蒸気膜が安定して焼きが入りにくい。その後、蒸気膜が局部的に破壊され、表面から気泡となってガスは散逸し、更に、鋼材中の熱量は、冷却媒の気化熱と激しい対流作用により奪われるので、冷却能は最大になり、鋼の焼き入れに必要な500°Cまでの急冷が可能になり、鋼はマルテンサイトに変移する。その後気泡の発生はなくなり、通常の対流と冷却媒への熱伝導のみの冷却になり、冷却速度は再び小さくなる(図17)」

図17 水中における鋼塊の冷却曲線(出展:西川精一「新版 金属工学入門」p.257)

この鋼の焼き入れ時の冷却媒の状態は、「湯床吹き」時の冷却媒の状態と酷似している。銅は面心立方晶であるから、鉄のように固体状態で結晶構造が変化する事はなく、焼き入れという現象が起こる事はないが、高温からの冷却という点では、同様な冷却状態が起きると考えられる。

熔融銅を水中に投入した場合に、まず銅表面に水蒸気膜が発生する。この水蒸気膜により、銅は直接水に触れる事なく凝固を始める。水蒸気膜は時間と共に破壊されるが、ある一定時間、 熔融銅表面の凝固を遅らせ、表面部と内部の凝固速度を近づけつつ冷却、外面部と内部の冷却ずれによる内部のヒケが抑えられ、巣が発生しにくい状態が作り出せると考えられるのである。

熔銅の水中投入を視認すると、湯床上で激しく水蒸気の細い泡を発生しながら凝固を始める。熔湯状態から、10秒程度で熔銅の表面は金属銅色に変化し、表面に泡状の膨らみを作りながら内部から気体を放出する(図18)。この膨らみは気体が放出されると消滅し、しばらくこの状態を繰り返した後沈静化し、表面が凝固したと思える頃に、銅塊から一気に細い気体の泡が噴き出す。

図18 熔融銅からのガス放出

湯床の構造上から、湯床自体が桶中で桶に接しているのは、湯床の脚底の部分だけである(図19)。湯床を用いずに、桶のお湯の中に熔融銅を投入すると、熔融銅は桶底部との間に水蒸気膜を発生させながら、桶底に直に接する事になり、発生した水蒸気やガスは逃げ場がなく、熔融銅を上方に押し上げる事になる(図20)。しかし、布を一枚敷く事だけでも、発生する気体の逃げ場が生まれる。



図19 湯床内部図解

図20 底部に溜まったガスに押し上げられた銅材

湯床の中での熔融銅は布と接しており、床内では水蒸気の逃げ場は確保されている。そして周囲の湯を攬絆する事により、 急冷時の対流作用を補助し冷却能を促進させ潜熱を吸収し、全体をより早く凝固させるのである。