2010年5月31日

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって23

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって23


先輩でもあり、鍛金のスジミチ やRAVEPORTEで一緒に活動していた関井一夫さんの学術論文を本人の許可のもとに連続掲載します。

出典:多摩美術大学研究紀要第20号 2005年掲載

3-10.金工の埋蔵物

 日本の金属工芸における、技術による分類と技法の定義付けは、整然と構築されたもののように見える。しかし、今、鍛金に限って述べるとすれば、必ずしも整然と構築されているとは 言い切れない矛盾点がある。そして、この矛盾点から探り直してみると、この技術の歴史的な背景や、金属物質としての差異から生じる加工成形技術の理路の違いが、改めて認識できるのである。更に造形が、技術・技巧や素材に揺り動かされてきた側面が伺える。また技術(technology)というものは、純粋に合理的なものであるが、工芸における伝承や加工技術(tech-nique)にも、合理的な部分が存在するのである。

芸術表現は、第一義的には表現された内容に関心が向くのであって、表現物がどう作られたかという事は、二次的な事柄とされる。しかし我々は、表現の為に用意されたモノからこそ内容を知るのである。また芸術表現は、社会とその中に存在する表現者によって変化する。それは言葉と同様に時代により変わる生きもののようである。しかし一方で、その表現に普遍性を求めようとするのも事実である。これは造形表現にとっても同様である。形を作るという意味では、第一義的な表現と二次的な作り方の関係は、より密接なものと言える。

冒頭で「造形思想という面以外に、技法・技術といった断面からも、新たな世界観を具現化する起爆剤が起こりうるのであ る」と述べたが、これは技法・技術、また素材という面のみから起こりうるのではない。社会、またその中に在る人と共に起 動する事で起こりうる。「金工の埋蔵物たち」は、その事を暗示しているのである。


おわりに

職人的な伝承で生き残った古の「湯床吹き」を、科学を利用して解き明かそうとした時に、改めて人の知恵を感ずる。それは一人二人の問題ではなく、千年以上の時の中での事である。 科学という概念のない時代に、純粋に技術を求めた結果、摂理に辿り着き、材料作りに限らず、加工技術も含めて、伝承方法や製造過程では、人間の五感を頼りとしていた。

 この五感を伴う感覚は、現在の我々の芸術領域の感覚に近い。強いて述べれば、美術領域の中では、最も身体で造形過程を体 感しながら制作する、工芸領域に共通する感覚である。自らの制作から呼応しても、自己の思念の産物が鎚を振り降ろし、当 て金と銅板から発する音や振動で、金属板の延展状態を感じ、徐々に変形してゆく様を、視覚や手の触覚で認識しながら進め る過程は、自己の身体感覚を基準としない限り、なんの判断もありえないのである。

誰も、結晶面の滑り状態を知覚しながら、絞り作業は行ってはいない。目の前の素材の動きと、道具を伝い僅かに感じる素材の変化から、自らの形を律するのである。


主要参考文献

・香取秀眞『日本金工史』藤森書店、1932年
・香取秀眞「金工史談」国書刊行会、1976年
・藤本長邦・松本外茂次「鎚起の沿革」日本鍛金工芸会、1966年
・松本外茂次『鎚起の沿革・第2号』日本鍛金工芸会、2000年
・遠藤元男・小ロハ郎「日本の伝統技術と職人(金属表面技術史)』槙書店、1975年
・高島俊男「漢字と日本人」文芸春秋、2001年
・伊藤廣利「素材の云い分一一木目金制作を通して」東京芸術大学美術教育研究会、1995年
・西川精一『新版・金属工学入門』アグネ技術センター、2001年
・西川精一『金属を知る』丸善株式会社、1995年
・新山英輔「金属の凝固を知る」丸善株式会社、1998年
・宮長文吾・鈴木健司「熱処理技術の選択」地人書館、1994年
・今井典子「住友銅吹所と大阪--技術とオランダ商館長応接をめぐって」『ヒストリア』第176号、大阪歴史学会、2001年
・磯崎康彦・吉田千鶴子「東京美術学校の歴史」日本文教出版、1977年
・関井一夫・田中千絵「造形技術としての「鍛金」の周辺」「Art&Craft forum」vol.9-12、東京テキスタイル研究所、1997-98年
・展覧会図録「よみがえる銅・南蛮吹きと住友銅吹所」大阪歴史博物館、2003年
・展覧会図録「鉄打出・山田宋美の世界・展」加賀市地城振興事業団、2003年


『金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって』は、今回で終了です。
後日、まとめてサイトのほうへ掲載します。