2010年6月4日

筋肉の疲労感


6月とは思えない位涼しい。
相変わらずの曇り空。
しばらく制作から遠ざかっていたから、
身体もかなりなまっている。
1.5ミリの銅板もやっとこさ切る始末。
ばりばりやっていたころの
慢性的な筋肉の疲労感が
よみがえってきた。
作れる身体を作ることが先決。


チブサトゲグモが通り道に巣を張っている。
邪魔でいつも壊されるが、懲りずにあっと言う間に巣を張り直している。

2010年6月3日

サガリバナ

鳩があっけなくやめてしまい、
どうなるのかという思いと
梅雨空の雲が、
重く垂れ込めた沖縄です。
昨日から涼しく、
気温的には過ごしやすい。

サガリバナが咲き始めました。
まだあまりにきれいに咲いてなくて、残念。
もう少し待ってきれいに咲く花を待とう。
一晩だけの花。
もうすぐ梅雨明けでしょうか。

回転絞りリハビリ中。
頼まれた鍋と器。
今さらながら、絞りって地道でめんどくさいなあ。


坊主が、髪を結ってもらっていて、ご満悦の様子。
本人曰く「プリキュア」だそうです。

2010年6月2日

開始


名護のシンボル、ヒンプンガジュマルの剪定がおこなわれた。
樹齢300年余りになるが、
数年前に傾き始め、樹勢も衰えつつある。
大きな台風が来たら倒木のおそれも出ている。
それを避けるため枝を剪定して一回り刈り込んだ。
少しでも勢いを盛り返して欲しい。
梅雨空から打って変わって
まぶしいくらい晴れ。
もくもくと夏の雲もでている。

丸環の作り方を教わって、量産。
真ちゅうでの試作品なので、丸環も真ちゅうで作る。
意外と簡単につくれるのね。
手間はかかるけど。
 
銅板のしぼりも開始。
ようやくリハビリ開始といったところ。

2010年6月1日

raveporteの仕事

以前、入り口のプレートをつくった北柏のスぺリオです。
2008年12月
北柏妖精モニュメント
モニュメント的に植えていた木が枯れてしまい、
モニュメントを作る事になりました。
オーナーさんから提出のイメージの中に、
ムーディーブルースの「童夢」が出てきました。
そこで相談の上、妖精を取り付けることになりました。


支柱/ステンレス・真鍮
妖精/銅





2009年2月
北柏集合住宅看板
集合賃貸住宅ですが、
賃貸と言う事を明確にする為に
看板をつける事になりました。
こちらにも妖精がついています。

材質/ステンレス・銅・真鍮



篠原建築設計事務所

2010年5月31日

試作&移動

ギャラリーみんたまあのグッズの試作。



当て金を新工房のほうへ移動。
狭いところがますます狭くなった。

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって23

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって23


先輩でもあり、鍛金のスジミチ やRAVEPORTEで一緒に活動していた関井一夫さんの学術論文を本人の許可のもとに連続掲載します。

出典:多摩美術大学研究紀要第20号 2005年掲載

3-10.金工の埋蔵物

 日本の金属工芸における、技術による分類と技法の定義付けは、整然と構築されたもののように見える。しかし、今、鍛金に限って述べるとすれば、必ずしも整然と構築されているとは 言い切れない矛盾点がある。そして、この矛盾点から探り直してみると、この技術の歴史的な背景や、金属物質としての差異から生じる加工成形技術の理路の違いが、改めて認識できるのである。更に造形が、技術・技巧や素材に揺り動かされてきた側面が伺える。また技術(technology)というものは、純粋に合理的なものであるが、工芸における伝承や加工技術(tech-nique)にも、合理的な部分が存在するのである。

芸術表現は、第一義的には表現された内容に関心が向くのであって、表現物がどう作られたかという事は、二次的な事柄とされる。しかし我々は、表現の為に用意されたモノからこそ内容を知るのである。また芸術表現は、社会とその中に存在する表現者によって変化する。それは言葉と同様に時代により変わる生きもののようである。しかし一方で、その表現に普遍性を求めようとするのも事実である。これは造形表現にとっても同様である。形を作るという意味では、第一義的な表現と二次的な作り方の関係は、より密接なものと言える。

冒頭で「造形思想という面以外に、技法・技術といった断面からも、新たな世界観を具現化する起爆剤が起こりうるのであ る」と述べたが、これは技法・技術、また素材という面のみから起こりうるのではない。社会、またその中に在る人と共に起 動する事で起こりうる。「金工の埋蔵物たち」は、その事を暗示しているのである。


おわりに

職人的な伝承で生き残った古の「湯床吹き」を、科学を利用して解き明かそうとした時に、改めて人の知恵を感ずる。それは一人二人の問題ではなく、千年以上の時の中での事である。 科学という概念のない時代に、純粋に技術を求めた結果、摂理に辿り着き、材料作りに限らず、加工技術も含めて、伝承方法や製造過程では、人間の五感を頼りとしていた。

 この五感を伴う感覚は、現在の我々の芸術領域の感覚に近い。強いて述べれば、美術領域の中では、最も身体で造形過程を体 感しながら制作する、工芸領域に共通する感覚である。自らの制作から呼応しても、自己の思念の産物が鎚を振り降ろし、当 て金と銅板から発する音や振動で、金属板の延展状態を感じ、徐々に変形してゆく様を、視覚や手の触覚で認識しながら進め る過程は、自己の身体感覚を基準としない限り、なんの判断もありえないのである。

誰も、結晶面の滑り状態を知覚しながら、絞り作業は行ってはいない。目の前の素材の動きと、道具を伝い僅かに感じる素材の変化から、自らの形を律するのである。


主要参考文献

・香取秀眞『日本金工史』藤森書店、1932年
・香取秀眞「金工史談」国書刊行会、1976年
・藤本長邦・松本外茂次「鎚起の沿革」日本鍛金工芸会、1966年
・松本外茂次『鎚起の沿革・第2号』日本鍛金工芸会、2000年
・遠藤元男・小ロハ郎「日本の伝統技術と職人(金属表面技術史)』槙書店、1975年
・高島俊男「漢字と日本人」文芸春秋、2001年
・伊藤廣利「素材の云い分一一木目金制作を通して」東京芸術大学美術教育研究会、1995年
・西川精一『新版・金属工学入門』アグネ技術センター、2001年
・西川精一『金属を知る』丸善株式会社、1995年
・新山英輔「金属の凝固を知る」丸善株式会社、1998年
・宮長文吾・鈴木健司「熱処理技術の選択」地人書館、1994年
・今井典子「住友銅吹所と大阪--技術とオランダ商館長応接をめぐって」『ヒストリア』第176号、大阪歴史学会、2001年
・磯崎康彦・吉田千鶴子「東京美術学校の歴史」日本文教出版、1977年
・関井一夫・田中千絵「造形技術としての「鍛金」の周辺」「Art&Craft forum」vol.9-12、東京テキスタイル研究所、1997-98年
・展覧会図録「よみがえる銅・南蛮吹きと住友銅吹所」大阪歴史博物館、2003年
・展覧会図録「鉄打出・山田宋美の世界・展」加賀市地城振興事業団、2003年


『金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって』は、今回で終了です。
後日、まとめてサイトのほうへ掲載します。

2010年5月29日

大雨降っています

大雨、朝から降ってます。
警報出てます。
大雨洪水警報のほかに、竜巻警報も。

側溝から雨水あふれてます。


実家の裏の川は、2m以上水位が上がって増す。道まであふれることはあまりないが、ちょっと心配。

火床ようやく完成。
さび止め塗って、キャスター付けて。
レンガがまだ新品で恥ずかしい。
あと10個ほどレンガを購入しなくてはいけない。

2010年5月28日

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって22

金工の埋蔵物 「湯床吹き」と「鍛金」をめぐって22


先輩でもあり、鍛金のスジミチ やRAVEPORTEで一緒に活動していた関井一夫さんの学術論文を本人の許可のもとに連続掲載します。

出典:多摩美術大学研究紀要第20号 2005年掲載


3-9.感覚的伝承法

 この技術がどこで生まれ、どのように伝わったのか、現在のところは判らない。しかし「湯床」の存在が,奈良時代まで遡るのであれば、大陸から伝わった技術と考えてよいだろう。そうであるなら、異なる文化言語間で伝承される場合、身体を基準とする尺度で伝承する事が、最も正確であったのではなかろうか。

先の逸話のように、同じ言語圏でも常用する数値単位の勘違いで問題が生ずるのであれば、異なる言語同士では、誤認する可能性が更に高い。握り拳ひとつ分という表現は、人間の個体差はあるものの、その個体差と数値単位の誤差を比較するならば、実は合理的な伝承基準値とも言えるのである。

更に、木目金制作で最も重要な金属板同士の鍛接の際に金属が「汗をかいたようになるからよく見ておけ」と教えられた。 「自分の目で見て覚えろ」という伝え方は、職人の技術伝承と同じである。しかし、美術領域の人間には、その言葉の意味に、我々がデッサンをする時に最も基本とする、丁寧によく観察する事で、モノの本質をとらえるという、多角的な客観視が提示されている事を理解できるのであろう。この多角的な客観視点は、近代西洋科学的な視点でもある。

科学や分類、また学問という世界は、共通認識の為に共通概念としての数値化を行うが、科学という概念の存在しない時代では、その伝達上での誤りの回避を、身体感覚で伝えていたという事である。



続く

2010年5月27日

世間はiPad、こちらはようやくiPod touch

昼間は晴天。


空気のすっきり感はまだないけれど。


今の時期に雨がきっちり降らないと、
水不足か?と心配を抱えながらの夏になります。


アトリエ用に火床を制作中。
火床があれば、とりあえず火を扱ううえで安心。
この上だけで火を使うという約束ができるから。
ここではこれをするという決めごとは、実はとても大事。
特に危険度の高い事をする環境では、作業環境の管理は、
事故の発生率をゼロにするための第一歩。
近所に少しずつうるさくなりますよ〜っていう告知も含めて
作業してます。


整備品のiPod touch8GBを購入しました。
iPod shuffleを2台立て続けに洗濯してしまいました。
ないなあと探して、作業服のポケットで発見した悲しさ・・・
教訓として、小さいから気付かず洗う・・・
でした。
大きければいやでも気付くだろうと。
nanoを買おうかと思っていて、
いいタイミングで現行品の整備品があり安く買えました。
ニーズばっちりでした。
新しいコンデジ は先延ばしになりましたが。

まだ使い方がよくわからないけど
世の中でiPhone!って騒がれてるのがわかりました。
いじっていて面白い。
わからないなりにいじって覚えようと思うもん。
使い勝手の悪いものは使えないよね。やっぱり

世間では、旬はiPadです(個人的にはようやくtouch)。
まわりでは、家のおじい、おばあなんかの
非パソコン世代に使えるのではないかという意見多数で、
私もそうかもしれないと妄想中。
どうでしょうか。

地位協定の前では、
憲法の国民の基本的人権の尊重も絵空事なんだよ。
それが根本的な反対の理由。
恩恵を受けている人間と
被害を被る 人間が違うのに
それを一緒にされている


老人の面子の為と、
子供らの未来を引き換えにはできないはずなんだけど。
その面子の為に
動こうという空気読めないのもいる。

2010年5月26日

梅雨の晴れ間

雨が続いていたが、梅雨の晴れ間。
湿度が高いせいか空気はすっきりせず、もや〜っている。
あまり彩度が高くない青空で、
すっきりしない。
とはいえ、曇天や雨天よりは、気分的に何倍も気持ちいいのは確か。
雨の日は嫌いではないけど。

今日は荷物を移動したり、材料を発注したり
税金を納めたり、いろいろ。
消えるときはあっという間だ。

沖縄そばが食べたくて、うまい処の大城そば屋へ。
いつ食べてもおいしいところです。
名護そばのポイントはすっきりさっぱり感だと思う。
こってりしたり味くーたーだと途中で飽きる。

今日は、つらつらと。
不幸なことは、いろいろなことが基地抜きで語れないこと。