2010年8月2日

203-天空堂01

積乱雲が勢いよく出ています。
造形仕事で生き物を作るのだけど、今回はオーソドックスに粘土原型から始めることにした。


いつもは時間がなくて実寸図をベニヤ板に描いていきなり制作を開始していたのだけど、途中で行き詰まっったまま、なし崩しでおわっていた。
制作時間はあまりないけど、段階をふんでやってみようと思う。


2010年7月30日

202-

肩の腫れ(正確には肩関節から肩甲骨と鎖骨の間)がひいてある程度動かせるようになってきた。テーピングでサポートしているが、かぶれてきて痒いので、昨日一日はテーピングなしですごす。右胸は黄色い痣が広範囲に広がっていて、ちょっと気持ち悪いけど、打撲の治っていく過程の色見本となっていて興味深い。痛めたであろう靭帯は、まだ痛くて制作にとりかかれるほど治癒はしていない。そんなところに友人から仕事の依頼。ありがたいやら・・・ありがたや・・・。注文の仕事2件終っていないけどどうするか。とりあえず前から欲しかった本を資料用に発注した。今日は市内の博物館に行ってみようと思う。

2010年7月26日

201-fireworks show

だいぶ肩のけがはよくなってきている。テーピングでサポートしているのもあるが、日常生活に支障がなくなりつつあるが、油断は禁物。カメラを使えるようになった。

土曜、日曜と夏祭りがあった。市内にはオリオンビールの工場があるので、ビール祭りといわれているが、祭りの名前にビールという言葉がいつのまにかなくなっている。いつ無くなったのだろうか。それとも、もともとなかったのか、よくわからないが、地元の人にはビール祭りで通用する。今年は怪我のせいで、会場には行かず、会場近くのマンションに住む知人の宴にお呼ばれした。

2010年7月23日

200-関井一夫展、明日まで

関井一夫さんの展覧会がいよいよ明日までです。数年来関井さんが粘り強く試みてきた展開の集大成ではないかと思っています。銀座方面へお出かけの方は、ぜひご高覧ください。

http://yaslog-okinwa.blogspot.com/2010/07/blog-post_14.html

199-右手

右肩はかなり痛みを伴うが、動くようになった。しかし、まだ自由にというわけではないし、重いものを顔から上にあげることはできない。しょうがないから、撮影でもと思ったが、カメラをにぎって目の高さまで持ち上げられなかった。
ふと、左手で!とおもったが、カメラのシャッターボタンとかグリップって、ボディの右側にしかない。カメラって右手が使えることが前提の道具なんだということに気がついた。とても便利になのにとても不自由な道具。
現状として、カメラは満足に使えないが、車の運転はなんとかなる。肩の可動範囲はひろがっているが、動かさないようにかばうものだから、そのまわりの筋肉に負担が出始めてきた。そんなところ。

2010年7月21日

198-転倒

不注意で転倒して、右肩を強打してしまった。
他にぶつけたところがないので、
全体重を右肩で受け止めた形。
その夜は、痛みでまったく動けず、
翌日、休日だったので
這うように救急外へ行き、診察してもらった。
幸い、骨、関節には異常がなかったが、
「靭帯、筋肉を痛めているおそれがあるので、
明日整形外科でみてもらってください」
次の日には、いくらか動くようになったので、
自力で病院へ。2時間半待って診察2分・・・
靭帯が切れている様子はないので、
強く打っていためたのでしょう、と。
しばらくおとなしくしていてください。

完全に自分の不注意なので反省するしかない。
しばらくは、痛みとつきあう生活になる。
まだ、肩甲骨と鎖骨の間は腫れている。

2010年7月16日

197-関井一夫、個展のお知らせ



「関井一夫の眼差し」展一鍛金の未来を拓く- 

2010年7月15日(木)~24日(土) 日曜・祝日は休廊

11:30AM~7:00PM

ギャラリー田中
東京都中央区銀座7−2−22同和ビル1F

ぜひご高覧おねがいします。

196-無題


雲は多いけど、夏の空
まぶしい。
銀で小さなパーツを作る。
いずれはキャストで量産するか、
既製品を探すかになるだろうな。
仕事先の植え込みに何本かサガリバナが植えられている。
先月からぽつぽつ咲いていたけど、
昨夜は、盛大に咲いていた。
まるでブラシのようだった。

2010年7月15日

195-セミとカマキリ



暑い日が続いています。
アトリエは35℃越え。
扇風機を回しているけど、
暑い風しかこない・・・
外の方がまだ涼しい気がする。

ふと、気配がして、建物の裏へ廻ると、
緊張した空気が流れていた。
セミは、逃げようと羽をばたつかせる。
カマキリは、がっちり前脚のカマでとらえて放さず、
少しづつ食べていた。
どちらも生きていくために必死であった。
セミの命は、カマキリの命となって生きていく。

2010年7月11日

194-現実からの創作・富本憲吉「模様から模様をつくらず」06 最終回

鍛金家関井一夫さんの論文を連続掲載 します。

現実からの創作・富本憲吉「模様から模様をつ くらず」06

関井一夫 多摩美術大学工芸学科非常勤講師

出典:多摩美術大学文様研究室 [文様・デザ イン・技術]2005 より


結びに

富本憲吉の生涯の仕事を駆け足で見てくると、「模様から 模様をつくらず」という創造の信条・生業としての創作・写生からの模様創出と、いずれも現実の世界から物事を観て、 そこから理念を導き出す、言わば、理念と生活の中で懸命 に創作を続けた芸術家の姿が感じ取られてくるのである。

さらに、美術社会のための美術、もしくは工芸社会のための工芸という閉鎖的かつ観念的な社会ではなく、人間社会に関わる工芸を現実的に実践して来た、上澄みとしての、 温かくも凛とした作陶が観えてくるのである。

富本憲吉が、バーナード・リーチに宛てた書簡の中に「We are working very hard like Devil.(鬼のように働く)」 という句があるという。これは富本が素人同然から陶芸を始め、猛然と仕事をする実感を表したものとされている。 田村耕一氏の、昭和60年の日本橋高島屋での作陶展に際して、田村氏自身の書いた下記の短文がある。

エンマ様が
「君の職業は」
 ハイ
「陶器造りでした」
針の山の先の火の山を
さして
「そちらに」と
 私はまたまたここでも
陶器造りをさせられるのかと
悲しい顔をしたら
頭をぽかんとたたかれた

筆者には、このエンマ様は富本憲吉を指しているように思えてならないのである。

【参考文献】
「富本憲吉の陶磁器模様」富本憲吉記念館編グラフィック社
「東京美術学校の歴史」日本文教出版
「私の履歴書・文化人6」日本経済新聞社
「人間国宝の工芸一増田三男・内藤四郎・富本憲吉一身辺から生まれる美」うらわ美術館
「創造の手わざ・近代工芸栃木の七星」栃木県立美術館
「人間国宝の日常のうつわ・もう一つの富本憲吉」東京国立近代美術館
「第24回田村耕一陶展」図録